東京家庭裁判所 昭和34年(家)10383号 審判 1960年1月19日
申立人 山田弘志(仮氏)
主文
申立人の本件申立を却下する。
理由
一、申立人の本件申立の要旨は、申立人の戸籍上の名は「弘志」であるが、昭和三四年二月○○日日蓮宗千住○○教会担任川口顕正の門に出家したので、日蓮宗規程第十四号第五条「僧籍のある者は宗務所長の承認を得て改名するものとする」により「裕詞」と改名致したいので、右改名の許可を求めるというのである。
二、家庭裁判所調査官の第一、二回の調査報告書ならびに申立人本人審問の結果によると、申立人は終戦後胃腸病に罹り仲々治癒しなかつたのでその治癒を願うことが動機となつて仏門に帰依し、申立人主張のとおり昭和三四年二月○○日得度をうけて僧籍に入り日蓮千住○○教会において修業中であることが認められる。
申立人は・右のとおり僧籍に入つたから日蓮宗規において本件改名を申立てると主張し、日蓮宗規程第十五号第五条第一項には「僧籍にある者は、宗務所長の承認を得て改名するものとする」旨の規定があるが、右規定は日蓮宗の内部規律であるから、右規定があるからといつて直ちに改名の申立につき正当の事由があるとはいえない。
改名は特定の宗教団体に属して、僧籍に入つた者の特権でも特典でもなく、僧籍に入つたことを理由とする改名の申立もその他の場合と等しく改名に関する一般的基準に照し、正当の事由があるかどうかを判断すべきものと考える。
ところで、名は氏と共に人の同一性を示す称号たる機能を有するからそれがみだりに変更されないよう公益的見地から呼称秩序の静的安全を確保することを前提とし、その呼称秩序の安定も特定の個人が社会生活の必要から改名を希望し、従前の呼称を使用するとその人の社会生活に著しい支障を来しその継続を強いることが社会観念上不当であるような場合のみ、私益を公益に優先させ呼称秩序の変動を許容しようというのが戸籍法第一〇七条の法意であり、同条第一項改氏の「やむを得ない事由」と同第二項改名の「正当な事由」とは程度の差にすぎないものと考える。
このように、改名を正当ならしめる一般的基準は、名の変更が特定の個人の社会生活を営むに当つて社会的に必要欠くべからざるものと認められ、また逆にいえば名の変更をしないとその個人の社会生活上著しい支障を来す場合であつて、単に個人の趣味、感情、信仰上の希望のみを以つては足りないと解すべく、従来の審判例における珍奇、難読、同姓同名、襲名、外人とまぎらわしい、異性とまぎらわしい、帰化等の改名許可の理由はすべて前記一般的基準を具体的に表示したものということができる。
従来、神職、僧侶になつたことを以つて改名の理由とする場合も、右一般的基準の例外ではない。神職につき、僧侶となつたものが信仰生活のみを続けるならば戸籍上の名まで変更する必要があるかどうかは大いに疑問をもつところであるが、現在わが国の教会で普教をなし祭祀仏事をとり行い、民衆に接触して宗教活動をなすために神官らしい名、あるいは僧侶らしい名を称することが有利であつて俗人らしい名においては社会的宗教活動において不利益を蒙るべきことは充分予想されるところである。このように神職僧侶もその社会的職業的見地からすると、前述の改名に関する一般的基準の例外ではないのである。このことからすれば神官僧侶として実際に社会生活を営むことが要件となり、単に僧籍に入つたということだけでは呼称秩序の変動は許容できないことは明白である。
そこで本件についてみると、調査官報告書ならびに申立人本人審問結果によると、申立人は従来より新聞販売店を経営し、僧籍に入つてからは千住○○会にしげく通い信仰を深めているが、他家においてお経をあげる等の宗教活動には従事せず、未だ申立人の生活の大部分は新聞販売店の経営に当てられていることが認められ、申立人が全く僧侶としての社会生活を営んでいるものとは認められない。また申立人が通称として裕詞を永年称していたことを認めることのできる証拠もない。
従つて申立人の事情にあつては、前記一般的基準に照しても改名について正当な事由があるとは認め難い。
よつて本件申立を卸下し、主文のとおり審判する。
(家事審判官 野田愛子)